マクロビオティックの実践者たち
現在、マクロビオティックの実践者はアメリカを中心に世界中で
400万人以上にのぼります。
マクロビオティックの言葉を知っていたり、部分的に食事に
取り入れている人々はその数倍もあり、とくに知識層の多くの
人々です。完全なマクロビオティック食ではなくとも、それに
準じた食事を意識的に摂っている人の数ともなると、その4、5
倍にもなります。アメリカではマクロビオティック食を自ら
実体験したハリウッドスターたちが、その効用をアメリカ中に
PRしてくれました。美容と健康が資本である彼、彼女たちに
とって、身体の内面を改善してくれるマクロビオティック食は、
一般の私たちが考える以上に価値あるものだったのです。
外出させた重罪犯が刑務所に戻ってきた
ポルトガルのリスボンにある刑務所での話です。
この刑務所では重罪犯の28人を対象に、玄米と味噌汁を主体にした
本格的なマクロビオティック食を実践しました。
当初は玄米や味噌汁に対して少なからぬ抵抗はあったものの、
味覚がなじむにつれて、それまでのまずいパンやおかずより
余程美味しいことが、彼らにもわかってきました。
ことに玄米は、噛めば噛むほどその美味しさがわかります。
彼ら28人は、隙あらば刑務所から脱走してやろうと、常にその機会
を虎視眈々とうかがっているような連中でした。
にもかかわらず、マクロビオティック食に変えて数ヶ月経ったとき、
刑務所では彼らの性格や思考の変化をテストするため、
土曜日に「日曜の午後5時までに帰ってくること」という条件で、
外出・宿泊許可を出したのです。
すると28人が全員、約束どおり刑務所に戻ってきたのです。
刑務所では一人ひとりに対して聞き取り調査をおこない、彼らは
さまざまな理由を述べましたが、共通しているのは「ここでの食事
が楽しいから」ということでした。
マクロビオティック食によって心身が健康になっていき、味覚自体が
徐々に変化してマクロビオティック食本来の美味しさがわかってくる。
だから彼らは、異口同音に「この刑務所では、外では喰えないうまい
ものがタダで喰えるから」と、刑務所に帰ってきた理由を述べたので
した。まさにマクロビオティック食が凶暴な性格を矯正したのです。
マクロビオティック食の習慣化
人体に備わった自然な排出作用の限度を超えて、“過剰なるもの”が
蓄積されると、血液やリンパ液の質の悪化を媒介として、心と体が
同時に病気へと進んでいくわけです。
これを回復させるには、“過剰なるもの”の摂取をコントロールし、
血液やリンパ液の質を正常に戻す以外に方法はないといえます。
これを同時に実施できるのが、マクロビオティックの実践と
その習慣化にほかなりません。つまり、マクロビオティック食に
よって食をコントロールし、人体をくまなく巡る血液やリンパ液
の質を改善することができれば、その影響は肉体だけではなく精神
(性格や考え方)にまで及ぶのです。
病気とは何か
病気とは何かを一言でいうと、自らの内に蓄積された
“過剰なるもの”が外に排出されないために、あるいは
何とか排出しようとする過程であらわれる現象にほか
なりません。人は身体一如(心と身体は切り離せない
一つのもの)ですから、この現象は肉体にも精神にも
共通しています。
人が好戦的になるのは、病気の進行段階の一つである
「感情障害」(イライラや怒りなど)のあらわれであり、
また力によって問題を解決しようとする性向は、さらに
病気が進行した段階である「傲慢」のあらわれなのです。
どちらも精神的領域に蓄積された“過剰なるもの”が、
危険な感情や行動となって放出されたものであることに
変わりはありません。
この“過剰なるもの”は、食の摂取における量的過剰(食
べ過ぎ)と質的過剰(偏食。ことに肉類、動物性食品、
甘いものの恒常的摂取、あるいは有害物の摂取)によって
蓄積されます。
病気をその根源から治癒できる方策は
病気の根本的原因は、自然の摂理・宇宙の秩序から逸脱した
食生活にこそあります。したがって、対症療法を基本とする
近代医療で、その原因のあらわれである患部を切除したり、
部分的に疾病の発症を抑えたりしても、病気の原因を取り除く
ことはできないのです。
たとえ治療によって疾患がなくなったように見えても、
発病以前と同じ食生活を続けていれば再発するのは当然と
いえるでしょう。同じ食生活とは、いうまでもなく動物性食品
や甘いものや化学的に加工された食品などの摂取過多のことです。
であるなら、病気をその根源から治癒できる方策は、
マクロビオティック食による食生活の抜本的改善と、
それを通じた調和の回復しかありません。
穀物は粒のまま食べるのが最良の食事法
穀物本来の良さを100%引き出すためには、どのような調理法がいいのか。
それは、粒のまま水炊きにして食べることです。
穀物を精製せず(米なら玄米で)、という形が最良なのはいうまでもありません。
というのも、たとえば米を精白すると、ミネラルをはじめとする大切な栄養分
がそぎ落とされてしまうからです。
玄米を精製せずに全粒で食べた場合、必要な脂肪分は十分体内に摂取されますから、
それ以上の脂質を食べる必要はありません。
にもかかわらず、肉食などを通じて過剰に脂肪を摂ったり、過食によって摂取した
余分なデンプンやタンパク質が脂肪になるため、それが心身の不調和の原因に
なってしまうのです。
炊飯した玄米を主食として適切な量食べ、あとは野菜や豆類、海藻類、季節に合った
果実を適宜副食として食べる。これが日本の伝統的な食文化であり、マクロビオティ
ックが理想型とする食事内容なのです。
肉食の習慣
獣肉は一般にスタミナ源と信じられていますが、
これは肉食が人間の獣性を高める結果でしかありません。
つまり肉食は、その人に過剰な活力を与えるとともに、
思考を凶暴化させる傾向が強いのです。
東西の歴史を比較してみてください。
古来より肉食の習慣を強くもった民族が、穀物中心の民族に比べて、
いかに数多くの血なまぐさい殺戮の歴史を繰り返していたかという事実が、
このことを雄弁に物語っているのではないでしょうか。
食(およびその調理法)と心・思考との関係は、これほどまでに深く結び
ついているのです。
食と人間性とは深くかかわっている
穀物を主食としていた欧米の伝統的食生活が、なぜ完全ではないのでしょうか。
それは、穀物を粉にして食べるからです。
洋の西ではその粉でパンをつくり、洋の東西の中央、今でいう中近東からインド
にかけての地域ではその粉をチャパティにして食べます。
しかし、穀粒をつぶすと酸化が進み、せっかくの穀物が変質してしまうのです。
それだけではありません。パンにすると動物性食品であるバターや甘いジャムが
欲しくなるし、チャパティではどうしても香辛料が欲しくなります。
つまり、元来必要でないものまで食生活に呼び込んでしまうわけです。
実は、穀物を粉にして食べることは、その人達の体質、ものの考え方や行動パタ
ーンにも大きな影響を及ぼします。
人間の食の基本
人間の食の基本が穀物であることは、
なにも学問の研究調査の結果を待つまでもありません。
人間の歯を調べれば一目瞭然なのです。
人間の歯の大部分を占める小臼歯と大臼歯は、
一般に穀類や豆類、さまざまな種子を噛み砕く
ためにつかわれる歯ですが、これは合計20本あります。
次に多い門歯は野菜などの植物性食品を噛み切るために使われ、これが8本。
そして動物性の食物を引き裂くのに使われる犬歯は4本しかありません。
つまり歯の構成から考えても、人間が太古の昔からずっと穀物を主食とし、
副食としては野菜を中心にして食べていたことがおわかりいただけるでしょう。
また、歯の構成を植物性食品用と動物性食品用とに分けると、その構成比は7対1です。
この比率は人間が生命を維持するためには、肉などの動物性食品は必須ではなく、
あくまで任意で少量だけ選択する食品にすぎないことを示しています。
量的にいえば、動物性食品の摂取はせいぜい全体の七分の一程度で十分なのです。
つまり、穀物こそが人間を人間たらしめている根元的な食であり、穀物なしに人類は、
存在しえなかったといっても過言ではないでしょう。
マクロビオティックの言葉の由来
マクロビオティックという言葉は、ソクラテス以前から使われていた
ギリシャ語の「マクロバイオス」に由来します。
ヒポクラテスはこれを「自然の秩序と調和のとれた生活をすることに
よって、健康と平和な心が保たれること」との意味合いで使っていましたが、
一般には「マクロバイオス」とは「大いなる生命」という意味です。
「大いなる生命」を自らの内に体現するには、「宇宙の秩序」を感得し、
それに同期(シンクロナイズ)すること、そして自然と調和した生活を
送ることが必須要件となります。
マクロビオティック食は、それを実現するための欠くべからざる
方法・手段にほかなりません。
世界中の人達に向けて、この「大いなる生命」の発言を促し、できるかぎり
多くの人々が心身ともに健康になることを通じて、人間に固有の精神性や
スピリチュアリティをさらに高め、あまねく世界に恒久的な平和を実現
すること。これこそが、マクロビオティックの究極的な目標なのです。